日本人初のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所:The Office of the United Nations High Commissioner for Refugees)の国連難民高等弁務官になられた緒方貞子さんがの訃報がありました。
私が高校のときに政経の授業で「この人はよく覚えておくように」と教師に言われ、長い名前の国連高等難民弁務官とセットで緒方さんを知りました。以来氏の活躍は折りに触れ報道などで知ることができ、本当に世界に出て活躍する人というのはこういう人のことだ、と強く感銘を受けました。
緒方貞子さんが高等難民弁務官に就任した1991年頃には湾岸戦争が起こりそれによって多くの難民が生まれました。緒方貞子さんの所属するUNHCRではクルド人を保護。米軍とも交渉し新たな人道支援のあり方を示しました。他にもユーゴスラビアからの独立を果たすボスにはやクロアチアの難民問題、アフリカルワンダの難民キャンプなど理由を問わず、困っている人がいれば助けに行く、そういった哲学で行動されていたように思います。
緒方貞子さんが主に取り組んだ難民の問題は日本ではなかなか身近になりにくいものです。アイヌや琉球民族のほかはほとんど大和民族という日本の中では異文化や日本語以外の母国語に接する機会が少ないなど、世界と日本という差を感じにくい外的環境があります。加えて日本では戦後70年紛争や戦争状態になっておらず国を追われるなどの経験がない政治的要因もあります。そうした私達が住む家や国を失った人たちを助けようにも遠い国の出来事で終わってしまうのです。
しかし緒方貞子さんの活躍を見ているとまだまだ世界は不安定な場所がたくさんあることに気付かされました。アフリカ中東は言うに及ばず、最近では中国や東南アジアでも政治難民も含め様々な人達が居場所を失っています。日本の難民受け入れは世界で見るとまだまだ少ないと言わざるを得ません。緒方貞子さんは積極的に日本の表舞台に登場される方ではありませんでしたが、偉大な実績はこれからの平和国家日本の立ち位置を決める上で大いに参考になるのではないでしょうか。
謹んでご冥福をお祈りします。